桜の儚さに思いをはせるよりも、花粉が舞い散る恐怖が勝ってしまう今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
気づけば、2014年の秋以降、製本の歴史については全く先に進んでいなかったようです・・・。
さあ、記念すべき50回目、(空)元気に、19世紀に参りましょう!
【フランス革命の爪あと】
長い間、フランスは文学の楽園で、あらゆる建物に図書館が設けられており、本を所有するということに誇りを持っていました。
しかし、革命により3世紀にわたり作られた12〜14万冊が失われたそうです。
破損したバザンやヴォーが使われた書物は、その革を他の用途に利用するために集められました。革の部分は紙やカルトンにすり替えられ、剥ぎ取られた革は、女性用靴の一部の裏打ちに使用されました。
本は質ごとに分けられ、無残にも解体されてしまいます。紙は作業服の袋に使用されたり、食料品を入れる袋に姿を変えていきました。
柔らかくて吸収性のある紙は強度に欠けたため、カルトンにリサイクルされました。
1801年のパリには138人の製本家しかいなかったそうです。
【ナポレオン・第一帝政時代】
ナポレオンは、書物の装飾には何の重要性も示さない人物で、彼にとって重要なことは、丈夫に作られていて開きの良い製本であることでした。
そんな彼でも、一応は自身の紋章である、鷲のモチーフを表紙両面に箔押しさせていました。
アンピール様式の特徴として、エジプト遠征から着想を得た、フェニックス、オベリスク、パルメット、竪琴など、グレコローマンのモチーフが挙げられます。
また、ダヴィッドが描いた絵にある、祝典の際に皇帝が着ていた赤いベロアのコートに施されていた刺繍のモチーフを写し取って作られたと思われる花型もあります。
コナラやローリエの葉で作られた冠、図案化されたミツバチは、勝利と新帝国の躍動の象徴でした。
パート2へ つづく
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