19世紀の製本について part 4

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Aug 7
2017
Posted in blog, miracle world by Minako at 03:56 pm | No Comments »

言いたくはありませんが、暑い日が続いております・・・いかがお過ごしでしょうか。
台風も行ったり来たりの中、製本の歴史も進んだり進まなかったりしていますが、今回から数回(?!)真面目に勉強しいたします。
19世紀パート4は、製本の背と小口についてです。


【背について】
5本ないしは6〜7本、版が大きい場合は8〜9本のフィセルを支持体として背バンドにする18世紀の丈夫な綴じ方は、19世紀には完全に見捨てられてしまいました。
しかし、フィセルのようにカルトンや革をひも状にして背バンドとして後からつけて、配置、数、長さや厚みなど独創性を生んでいた平たい背も完璧ではないことが徐々に判明していきました。
本を安定させるために、背の丸みと同様に少しずつ初歩的な正しいやり方に戻っていきました。

【マシコ登場】
ロニアージュは常にプレスにはさみ、伝来のやり方に従った刃が備え付けらている専用の器具を使って行われていました。
この方法は、今でもテモワンのある豪華製本を制作するには素晴らしい道具ですが、慎重さが求められ、器具が切っていく速度は遅く時間がかかります。
そこで、技師マシコは、1849年に自動切断機を発明しました。その機械は発明者の名前がそのままつけられ、マシコと呼ばれています。
迅速で現代的なマシコは、巻数の多い本を作業するには最適の機械となりましたが、刃こぼれなど手入れが完璧にされていないと、小口の切断面に斜めの跡がついてしまいます。

【天金について】
普通製本の小口にはジャスペをしたり、メノウ棒でツヤ出しをしていました。
総革装や豪華半革装には、小口にマーブル模様をつけたり、天金を施しました。
1820年頃フランスでは、イギリス製本のように上品に見える、硝酸を使った天金が導入され始めました。
これは、それまで使用してきた「との粉」よりも輝きを出すために、小口に箔を置く前に薄めた硝酸を塗るやり方ですが、間違った分量の硝酸により、数年経つと金が白っぽくなってしまう結果を招いたため、すぐに廃れてしまったようです。


19世紀にも試行錯誤は、つづく・・・



  1. It‘s quite in here! Why not leave a response?




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